2009年10月13日
APSカップ ライフルクラスに思うこと・・・
10月4日 APSカップ ライフル公式記録会へ ④
ほぼ俯き加減で誰とも目線を合わさぬ様にしていた私だが、それでいても今回は射撃スーツ(というのでょうか?)の使用が多かった。
特に目立ったのがオープン部門だけでなくフリー部門での使用だった。
APSという競技の性質上、この射撃スーツの使用ってどうなのかな?って思う部分もあります。
APSという競技の性質とはなにか? 『速報№7 イベントレポート! ライフルクラス」によると
『APSカップは市販されているエアースポーツガンを使ってスポーツシューティングを楽しむ競技会です。
参加される皆さんは、初参加者から経験者まで幅広い年齢層の男女が射撃をスポーツとして、ホビーとして、楽しんでいます。
フェアプレー精神に則り、安全に、真剣に、そして楽しく競技に挑み、自己の目標に向かってください!』
とあります。
射撃スーツの使用を否定する事は出来ません。
なぜなら「レギュレーションブックに使用禁止が明記されていない以上、射撃スーツの使用は否定出来ない」と言わざるを得ないからです。
ただ、ホビーとして楽しく競技に挑む選手にとっては「射撃スーツ」の使用はなかなか常識的に考えられるものではありません。
今回も中学生の参加がありましたが、将来のAPSを支えるであろう若く育ち盛りの彼らが、年に数回の大会の為に射撃スーツを用意することが出来るでしょうか?
JASGは『日本エアースポーツガン協会では選手層の拡大を図るために、公式認定競技銃をスポーツ教材として、18歳未満のユーザーが購入、競技に参加できるようにすることを目標としています。』としていますが彼らが真剣に競技に挑んだ時、射撃スーツを使用している大人との競技に何らかの価値を見出す事が出来るでしょうか?
またライフルクラスは「射撃スーツを使用しないと入賞出来ないのか?」「射撃スーツを使用していないと不利である」という考えが今後選手間で一般になった時、上位入賞の為の努力の甲斐が無いと判断され、結果として「ライフルクラスは衰退の一歩を辿る」のでは?と懸念するのです。
私見ですが、実際オープンサイトのライフルを撃ってみると「オープン・フリーの総合順位」においてオープン部門にハンデ10点というのも大変厳しく感じられ、「オープンVSフリー」の構図であればオープン部門において射撃スーツを使用するのも妥当に思えます。
ですが「同サイト部門内」で「射撃スーツの使用・非使用」のハンデについてはどうなのでしょうか?
オープン部門参加の意思があっても、本大会でのオープン部門上位選手の射撃スーツの使用率が高かった事を踏まえると、射撃スーツが用意出来なければ、とても挑戦する気にはなれないのではないでしょうか?
ましてフリー部門で射撃スーツ使用者が居るのでは尚更です。
オープン部門射撃スーツ使用の選手にとって非常に厳しい状況の中、オープン部門射撃スーツ非使用の選手からみたら、フリー部門で射撃スーツ使用という選手が居る中で競う事がフェアーであるとはとても言い難いと思うのです。
結果としてハンドガンの様にオープン部門の発展独立は果てしなく遠い気がします。
とても残念です。
「入賞したきゃスーツを買え」「競技であるが故に問題ない」「スーツ使用は入賞への熱意の表れだ」
「競技である以上、勝利の為の最大の努力を尽くすのは当然である」という意見もあるでしょう。
それでも少し考えて欲しいのです。
何故スモールボアやエアーライフル等でなくAPSという競技があるのか。
資格を必要とせず、大勢の誰もが参加出来るAPSカップの意味を。
厳しい社会情勢の中、JASGとファンが支えてきたこの競技の価値を。
老若男女を問わず公平に楽しく真剣に競う事が出来る、稀有で素晴らしい競技の魅力を。
「勝てれば何をやってもいい」「違反でなければ問題ない」という姿勢が沢山の規制や法制化を生み
結果その分野の魅力やユーザー数を減らしてしまったのはエアガンに限った事ではありません。
競技者として、また競技を支える関係者として、大人の判断が求められるところではないでしょうか。
まあ、あんまり否定的に聞こえる様な事ばかり言ってると「負け犬がなに言ってんの?」って言われそうですけど。
決して射撃スーツ使用に文句を言っているのではありません。
ケチをつける気もありません。
私が射撃スーツを着ても、上位入賞する事はそれ以前の問題あることも自覚しています。
ただ、『参加者が楽しく真剣に競技に挑める為の公平性の確保』は、選手一人ひとりが自覚と誇りを持って初めてAPSの精神は体現されるのではないでしょうか?
先の懸念を踏まえ、APSとライフルクラスの発展を祈るものです。
ほぼ俯き加減で誰とも目線を合わさぬ様にしていた私だが、それでいても今回は射撃スーツ(というのでょうか?)の使用が多かった。
特に目立ったのがオープン部門だけでなくフリー部門での使用だった。
APSという競技の性質上、この射撃スーツの使用ってどうなのかな?って思う部分もあります。
APSという競技の性質とはなにか? 『速報№7 イベントレポート! ライフルクラス」によると
『APSカップは市販されているエアースポーツガンを使ってスポーツシューティングを楽しむ競技会です。
参加される皆さんは、初参加者から経験者まで幅広い年齢層の男女が射撃をスポーツとして、ホビーとして、楽しんでいます。
フェアプレー精神に則り、安全に、真剣に、そして楽しく競技に挑み、自己の目標に向かってください!』
とあります。
射撃スーツの使用を否定する事は出来ません。
なぜなら「レギュレーションブックに使用禁止が明記されていない以上、射撃スーツの使用は否定出来ない」と言わざるを得ないからです。
ただ、ホビーとして楽しく競技に挑む選手にとっては「射撃スーツ」の使用はなかなか常識的に考えられるものではありません。
今回も中学生の参加がありましたが、将来のAPSを支えるであろう若く育ち盛りの彼らが、年に数回の大会の為に射撃スーツを用意することが出来るでしょうか?
JASGは『日本エアースポーツガン協会では選手層の拡大を図るために、公式認定競技銃をスポーツ教材として、18歳未満のユーザーが購入、競技に参加できるようにすることを目標としています。』としていますが彼らが真剣に競技に挑んだ時、射撃スーツを使用している大人との競技に何らかの価値を見出す事が出来るでしょうか?
またライフルクラスは「射撃スーツを使用しないと入賞出来ないのか?」「射撃スーツを使用していないと不利である」という考えが今後選手間で一般になった時、上位入賞の為の努力の甲斐が無いと判断され、結果として「ライフルクラスは衰退の一歩を辿る」のでは?と懸念するのです。
私見ですが、実際オープンサイトのライフルを撃ってみると「オープン・フリーの総合順位」においてオープン部門にハンデ10点というのも大変厳しく感じられ、「オープンVSフリー」の構図であればオープン部門において射撃スーツを使用するのも妥当に思えます。
ですが「同サイト部門内」で「射撃スーツの使用・非使用」のハンデについてはどうなのでしょうか?
オープン部門参加の意思があっても、本大会でのオープン部門上位選手の射撃スーツの使用率が高かった事を踏まえると、射撃スーツが用意出来なければ、とても挑戦する気にはなれないのではないでしょうか?
ましてフリー部門で射撃スーツ使用者が居るのでは尚更です。
オープン部門射撃スーツ使用の選手にとって非常に厳しい状況の中、オープン部門射撃スーツ非使用の選手からみたら、フリー部門で射撃スーツ使用という選手が居る中で競う事がフェアーであるとはとても言い難いと思うのです。
結果としてハンドガンの様にオープン部門の発展独立は果てしなく遠い気がします。
とても残念です。
「入賞したきゃスーツを買え」「競技であるが故に問題ない」「スーツ使用は入賞への熱意の表れだ」
「競技である以上、勝利の為の最大の努力を尽くすのは当然である」という意見もあるでしょう。
それでも少し考えて欲しいのです。
何故スモールボアやエアーライフル等でなくAPSという競技があるのか。
資格を必要とせず、大勢の誰もが参加出来るAPSカップの意味を。
厳しい社会情勢の中、JASGとファンが支えてきたこの競技の価値を。
老若男女を問わず公平に楽しく真剣に競う事が出来る、稀有で素晴らしい競技の魅力を。
「勝てれば何をやってもいい」「違反でなければ問題ない」という姿勢が沢山の規制や法制化を生み
結果その分野の魅力やユーザー数を減らしてしまったのはエアガンに限った事ではありません。
競技者として、また競技を支える関係者として、大人の判断が求められるところではないでしょうか。
まあ、あんまり否定的に聞こえる様な事ばかり言ってると「負け犬がなに言ってんの?」って言われそうですけど。
決して射撃スーツ使用に文句を言っているのではありません。
ケチをつける気もありません。
私が射撃スーツを着ても、上位入賞する事はそれ以前の問題あることも自覚しています。
ただ、『参加者が楽しく真剣に競技に挑める為の公平性の確保』は、選手一人ひとりが自覚と誇りを持って初めてAPSの精神は体現されるのではないでしょうか?
先の懸念を踏まえ、APSとライフルクラスの発展を祈るものです。
2009年10月08日
10月4日 APSカップ ライフル公式記録会へ ③
今回顔見知りの上位常連とは挨拶程度しか会話をしなかった。
というか、殆ど誰とも喋らなかった。
トップシューター達は幾つかの大きなグループにまとまって(恐らくショップの常連さん達?)
何事かを話している様で、正直参加させて頂きたかった気持ちもあったが、心を鬼にしてワザと一人ぽっちでいた。
自分が緊張するのは分かっていたので、一人でいる時間を多く取り、呼吸を整えたり軽く運動する等をして極力自分のペースで物事を進められる様にしたかったのだ。
結果は惨敗だったのであんまり意味は無かったのかもしれないが、自身の心理状態は克明に記憶している。
これらが次回に生かせるかどうかは不明だが、なんとか対策を立てたい。
理由はもうひとつ。
知り合いのトップシューターの点数や結果を共に喜ぶ事がまるで自分の失敗を隠す為の代償行為として喜ぶ様で、結果としてその方を馬鹿にしている事にならないだろうか・・・・・・?
自身の実力が伴わないのにまるで金魚の糞の様にくっついて周り、栄光のおこぼれを貰う様な気がして仕方ないのだ。
「上位入賞者と喋った」「知り合いのトップシューターが入賞した」なんて言ったら『お前はどうなんだ・・・?』と自分自身に突っ込まれたらこれほど惨めな事は無い。
他人の栄光に寄り添って、自身を慰める様なことはしたくないのだ。
一人で居るという事は、当然他のノウハウを吸収する事が出来ないが、自身が僅かでも何かを提供したり貢献する(結果を出すという)事が出来ずにいる今、甘えてばっかりではいられない。
上位の方には「よくやった!」と共に喜んでもらえる様になりたい。
今回はそれだけストイックに挑んだつもりだった。
唯一救いだったのは「銃の性能」が良かった事だ。
「10X出るのか?」と突っ込まれると困ってしまうが・・・
前日まではフライヤーは皆無であり、今日撃ってもその性能は維持されている。
しかし大会当日にその性能を証明出来なければ、これもただの負け犬の遠吠えである。
ただ、
「銃が当たらない」 → 俺の射撃は正確だ。
「銃の調子が悪い」 → 俺のコンディションに問題は無い。
「銃さえ当たれば・・・」 → 俺自身は優勝出来る腕がある。
と、成績の悪さを物の所為にする事無い性能だった。
(愛銃には感謝と申し訳無さで一杯である)
どなたかが仰っていました(ブログだったかな?)
『APSカップは総合力を競う競技である。
射手の当てる技術もさることながら、
銃が当たるか否かも全て射手の技術によるものである』
名言です。 (どなたの御言葉か失念してしまうとは・・・・・・)
私も同感です。
銃の性能も、自身のメンタル同様に競技者の責任においてどうにかするのが、道具を使う競技である。
自分の不甲斐無さを棚に上げ、成績の悪さを道具の所為にするのであれば、私は路上の石ころ以下の存在である。
ふと思う。
上位3名の技術たるや素晴らしくも恐ろしいものがある。
「道具」そして「人」、それぞれを仕上げて来る人は大勢いるだろうが(私はそれすらも出来なかったが・・・)更にこれを高次元にバランスさせているのだろ。
ってゆーか、上位3名の方々が東京本大会の上位3名と同じ方達って・・・マジスゲーな・・・
練習でたまに良い点が出せるのとは訳が違う。
本当の実力者達なのだと思う。
ただ尊敬の眼差しで見上げるのみである。
続く。
というか、殆ど誰とも喋らなかった。
トップシューター達は幾つかの大きなグループにまとまって(恐らくショップの常連さん達?)
何事かを話している様で、正直参加させて頂きたかった気持ちもあったが、心を鬼にしてワザと一人ぽっちでいた。
自分が緊張するのは分かっていたので、一人でいる時間を多く取り、呼吸を整えたり軽く運動する等をして極力自分のペースで物事を進められる様にしたかったのだ。
結果は惨敗だったのであんまり意味は無かったのかもしれないが、自身の心理状態は克明に記憶している。
これらが次回に生かせるかどうかは不明だが、なんとか対策を立てたい。
理由はもうひとつ。
知り合いのトップシューターの点数や結果を共に喜ぶ事がまるで自分の失敗を隠す為の代償行為として喜ぶ様で、結果としてその方を馬鹿にしている事にならないだろうか・・・・・・?
自身の実力が伴わないのにまるで金魚の糞の様にくっついて周り、栄光のおこぼれを貰う様な気がして仕方ないのだ。
「上位入賞者と喋った」「知り合いのトップシューターが入賞した」なんて言ったら『お前はどうなんだ・・・?』と自分自身に突っ込まれたらこれほど惨めな事は無い。
他人の栄光に寄り添って、自身を慰める様なことはしたくないのだ。
一人で居るという事は、当然他のノウハウを吸収する事が出来ないが、自身が僅かでも何かを提供したり貢献する(結果を出すという)事が出来ずにいる今、甘えてばっかりではいられない。
上位の方には「よくやった!」と共に喜んでもらえる様になりたい。
今回はそれだけストイックに挑んだつもりだった。
唯一救いだったのは「銃の性能」が良かった事だ。
「10X出るのか?」と突っ込まれると困ってしまうが・・・
前日まではフライヤーは皆無であり、今日撃ってもその性能は維持されている。
しかし大会当日にその性能を証明出来なければ、これもただの負け犬の遠吠えである。
ただ、
「銃が当たらない」 → 俺の射撃は正確だ。
「銃の調子が悪い」 → 俺のコンディションに問題は無い。
「銃さえ当たれば・・・」 → 俺自身は優勝出来る腕がある。
と、成績の悪さを物の所為にする事無い性能だった。
(愛銃には感謝と申し訳無さで一杯である)
どなたかが仰っていました(ブログだったかな?)
『APSカップは総合力を競う競技である。
射手の当てる技術もさることながら、
銃が当たるか否かも全て射手の技術によるものである』
名言です。 (どなたの御言葉か失念してしまうとは・・・・・・)
私も同感です。
銃の性能も、自身のメンタル同様に競技者の責任においてどうにかするのが、道具を使う競技である。
自分の不甲斐無さを棚に上げ、成績の悪さを道具の所為にするのであれば、私は路上の石ころ以下の存在である。
ふと思う。
上位3名の技術たるや素晴らしくも恐ろしいものがある。
「道具」そして「人」、それぞれを仕上げて来る人は大勢いるだろうが(私はそれすらも出来なかったが・・・)更にこれを高次元にバランスさせているのだろ。
ってゆーか、上位3名の方々が東京本大会の上位3名と同じ方達って・・・マジスゲーな・・・
練習でたまに良い点が出せるのとは訳が違う。
本当の実力者達なのだと思う。
ただ尊敬の眼差しで見上げるのみである。
続く。
2009年10月06日
10月4日 APSカップ ライフル公式記録会へ ②
自信が無かったと言えば嘘になる。
正直「行けるかも・・・」と少しは思っていた。
本大会と比べれば短い時間だったが、ゆえに充実した練習が行えた。
まかり間違えば上位入賞も不可能ではないのでは・・・?と
信頼できる銃。
向上した技術。
残る問題はいつもの通り私の「チキン・ハート」のコントロール。
こればっかりはどうしようもないのか?
対策が全く思いつかない。
練習するほか無い。
ただ、どれだけ練習しても「チキン・ハート」が動き出せばレティクルは暴れ、トリガーの引きブレが更なる失点を生み出し、全てが水泡に帰す。
緊張で血の巡りがおかしくなった体を動かし射座に向かう。
見知った方をはじめ、有名人や大勢の選手たちの話し声が聞こえるが、何を話しているか全く分からない。
笑い声なのか怒声なのか、APSの話かどうかも分からない。
まずい・・・・・・
周りの状況が認識出来ないのは集中しているとも言えるが、体が極度の緊張に陥っている証拠である。
つまり心身のバランスが取れていないのだ。
射座に着き、繰り返し深呼吸をするが、肺の奥まで空気が入らない。
頭に血がのぼり、足から力が抜けていく。
銃を構えスコープを除く。
駄目だ・・・あんなに練習したのに据銃が全く出来ていない。
駄目だという緊張が新たな動揺を生み、自信を持ってトリガーを引けない。
頭の片隅に小さく「・・・やっぱり駄目か・・・・・・」と諦めの声が響く。
練習に費やした時間が多ければ多い程、この瞬間が切なくなる。
しかしこれを乗り越えねばバッヂ更新は出来ない。
無常に過ぎていく時間。
体内時計は乱れまくり、経過時間をジャッジに確認するが、声が良く聞こえない。
ジャッジの声が小さい訳ではない。
酸欠により脳が麻痺しているのだろうか。
撃たずして終わるなんて事だけはごめんだ。
願わくば俺の体よ、意識の外で正確に動いてくれと祈りを込めてトリガーを引く・・・・・・
苦痛と悔恨の時間は終わった。
結果は公表するのもおこがましい成績。
「ブログなんて止めちまえ!」と言われそうな散々な点数。
「出来損ないの結果なんてどうでもいいよ!!」言われそうな結果。
(でも自分のメモのつもりなので勘弁してください・・・)
今大会は前回と違い(自分的には)準備に相当の時間を掛けた(つもりでした)。
その甲斐あってか(?)今現在撃ってみても、銃の性能は良好で自身の技術もそう酷いものではありません。
やはり確実に言えるのは
「練習の結果は、所詮それだけのものでしかない」
という事です。
「最近○○点の○x出した」 「練習通りなら優勝だったのに」 「調子が悪かった」 等言うのは負け犬の戯言です。
まして「銃が当たらない」 「フライヤーが出る」 「当日のセッティングが・・・」なんてのも言語道断。
負け犬の遠吠えです。
しかもこういった『言い訳』は勝者への侮辱の言葉に他なりません。
練習の自己申告でいいのなら、私だってグランドマスターです。
私は負け犬にはなりたくないので、上位の方々に敬意を払いつつ自身の不甲斐無さと駄目っぷりを心から反省し、下手なりに次の大会へ向け改めて精進しようと思います。
反省の念を込め、ブログのタイトルを「APS練習番長」に変更します。
続く。
正直「行けるかも・・・」と少しは思っていた。
本大会と比べれば短い時間だったが、ゆえに充実した練習が行えた。
まかり間違えば上位入賞も不可能ではないのでは・・・?と
信頼できる銃。
向上した技術。
残る問題はいつもの通り私の「チキン・ハート」のコントロール。
こればっかりはどうしようもないのか?
対策が全く思いつかない。
練習するほか無い。
ただ、どれだけ練習しても「チキン・ハート」が動き出せばレティクルは暴れ、トリガーの引きブレが更なる失点を生み出し、全てが水泡に帰す。
緊張で血の巡りがおかしくなった体を動かし射座に向かう。
見知った方をはじめ、有名人や大勢の選手たちの話し声が聞こえるが、何を話しているか全く分からない。
笑い声なのか怒声なのか、APSの話かどうかも分からない。
まずい・・・・・・
周りの状況が認識出来ないのは集中しているとも言えるが、体が極度の緊張に陥っている証拠である。
つまり心身のバランスが取れていないのだ。
射座に着き、繰り返し深呼吸をするが、肺の奥まで空気が入らない。
頭に血がのぼり、足から力が抜けていく。
銃を構えスコープを除く。
駄目だ・・・あんなに練習したのに据銃が全く出来ていない。
駄目だという緊張が新たな動揺を生み、自信を持ってトリガーを引けない。
頭の片隅に小さく「・・・やっぱり駄目か・・・・・・」と諦めの声が響く。
練習に費やした時間が多ければ多い程、この瞬間が切なくなる。
しかしこれを乗り越えねばバッヂ更新は出来ない。
無常に過ぎていく時間。
体内時計は乱れまくり、経過時間をジャッジに確認するが、声が良く聞こえない。
ジャッジの声が小さい訳ではない。
酸欠により脳が麻痺しているのだろうか。
撃たずして終わるなんて事だけはごめんだ。
願わくば俺の体よ、意識の外で正確に動いてくれと祈りを込めてトリガーを引く・・・・・・
苦痛と悔恨の時間は終わった。
結果は公表するのもおこがましい成績。
「ブログなんて止めちまえ!」と言われそうな散々な点数。
「出来損ないの結果なんてどうでもいいよ!!」言われそうな結果。
(でも自分のメモのつもりなので勘弁してください・・・)
今大会は前回と違い(自分的には)準備に相当の時間を掛けた(つもりでした)。
その甲斐あってか(?)今現在撃ってみても、銃の性能は良好で自身の技術もそう酷いものではありません。
やはり確実に言えるのは
「練習の結果は、所詮それだけのものでしかない」
という事です。
「最近○○点の○x出した」 「練習通りなら優勝だったのに」 「調子が悪かった」 等言うのは負け犬の戯言です。
まして「銃が当たらない」 「フライヤーが出る」 「当日のセッティングが・・・」なんてのも言語道断。
負け犬の遠吠えです。
しかもこういった『言い訳』は勝者への侮辱の言葉に他なりません。
練習の自己申告でいいのなら、私だってグランドマスターです。
私は負け犬にはなりたくないので、上位の方々に敬意を払いつつ自身の不甲斐無さと駄目っぷりを心から反省し、下手なりに次の大会へ向け改めて精進しようと思います。
反省の念を込め、ブログのタイトルを「APS練習番長」に変更します。
続く。
2009年10月05日
10月4日 APSカップ ライフル公式記録会へ ①
8月の惨敗から2ヶ月が過ぎ、今日APSカップ・ライフルクラスの公式大会に参加した。
自信が行った準備、気持ち、考え、様々な事象等を今後の資料とすべく数度に分け記録に残す事にする。
メンタルな弱さに散々な目にあった前大会の屈辱を晴らすべく、実は相当の練習を積んだ。
(といってもブルズだけだが・・・・・・)
練習結果を一切ブログに書かなかったのも理由がある。
パソコンを触っている時間も練習や、銃のメンテに使いたかった。
なかなか本番同様の緊張感を経験する事も出来ない為、ただひたすら練習し、
全ての基本であるブルズを体に染み込ませるしか無いと考えた。
銃の調子も良かった。
シリンダー脱脂の所為か、蔵前BB弾はフライヤーとは無縁の飛びを見せてくれた。
念には念を入れ、概ね1000発発射以内にはメンテを実行。
2ヶ月の間に、銃への信頼は完全なものになった。
平日昼間、仕事の合間にショップへ行き、ムーバーも練習した。
ブルズのイメージがムーバーとようやく重なり、自分なりの射撃方法も幾つか確立出来た。
9月某日、APS競技を2日に渡り2回行う事が出来た。
本番に近い緊張感を得る為、練習は2マガジンまでとし、本番同様の競技を1日1回だけとした。
点数は自己ベストの194点と192点。
自分でも驚いた。
実際、調子が良い時のブルズは大体96+-2点の点数が出せていた。
平素、弾の選別を行わないが、万全を期す為、蔵前工房舎のゲージを購入し選別も行った。
何度行ったか分からない、愛銃のTYPE96のメンテも行った。
油脂の揮発を避ける為、トリガーボックスも分解し徹底的な脱脂を行った。
トリガープルの粘りが消え、切れも向上した。(もっと早くやればよかった・・・)
改めてブルズを練習。
なんと100点!!
しかも×7!?
その後何回か挑戦したが、仕事の疲れ等がなければ100点を数度に渡って出せた。
100点が出ない時でも×の数は多く、最大で8つ。
逆に100点の時は少なめだった。
これらの記録を残そうかと思ったが、その場で全て破り捨てた。
正直ブログにアップしようかとも思った。
しかし過ぎ去った過去に自信を持っても栄光の未来を掴む事は出来ない。
これは前回大会で学んだ事だ。
前回のブログでも書いた事だが
「所詮練習の結果は、それだけのものでしかない」
この言葉が肩に重かった。
続く。
自信が行った準備、気持ち、考え、様々な事象等を今後の資料とすべく数度に分け記録に残す事にする。
メンタルな弱さに散々な目にあった前大会の屈辱を晴らすべく、実は相当の練習を積んだ。
(といってもブルズだけだが・・・・・・)
練習結果を一切ブログに書かなかったのも理由がある。
パソコンを触っている時間も練習や、銃のメンテに使いたかった。
なかなか本番同様の緊張感を経験する事も出来ない為、ただひたすら練習し、
全ての基本であるブルズを体に染み込ませるしか無いと考えた。
銃の調子も良かった。
シリンダー脱脂の所為か、蔵前BB弾はフライヤーとは無縁の飛びを見せてくれた。
念には念を入れ、概ね1000発発射以内にはメンテを実行。
2ヶ月の間に、銃への信頼は完全なものになった。
平日昼間、仕事の合間にショップへ行き、ムーバーも練習した。
ブルズのイメージがムーバーとようやく重なり、自分なりの射撃方法も幾つか確立出来た。
9月某日、APS競技を2日に渡り2回行う事が出来た。
本番に近い緊張感を得る為、練習は2マガジンまでとし、本番同様の競技を1日1回だけとした。
点数は自己ベストの194点と192点。
自分でも驚いた。
実際、調子が良い時のブルズは大体96+-2点の点数が出せていた。
平素、弾の選別を行わないが、万全を期す為、蔵前工房舎のゲージを購入し選別も行った。
何度行ったか分からない、愛銃のTYPE96のメンテも行った。
油脂の揮発を避ける為、トリガーボックスも分解し徹底的な脱脂を行った。
トリガープルの粘りが消え、切れも向上した。(もっと早くやればよかった・・・)
改めてブルズを練習。
なんと100点!!
しかも×7!?
その後何回か挑戦したが、仕事の疲れ等がなければ100点を数度に渡って出せた。
100点が出ない時でも×の数は多く、最大で8つ。
逆に100点の時は少なめだった。
これらの記録を残そうかと思ったが、その場で全て破り捨てた。
正直ブログにアップしようかとも思った。
しかし過ぎ去った過去に自信を持っても栄光の未来を掴む事は出来ない。
これは前回大会で学んだ事だ。
前回のブログでも書いた事だが
「所詮練習の結果は、それだけのものでしかない」
この言葉が肩に重かった。
続く。